馬鹿の独り言

物忘れの酷い俺のためだけのブログ

「言の葉の庭」を観たり読んだりした話

 

 

俺は、新海誠恐怖症だった。

秒速5センチメートル」というクソ映画を観て深く傷付いてからというもの、新海誠作品を避けていた。しかし、以前「君の名は。」を観たことによってそのトラウマは随分と和らいだ。そこで「そういやまだ観てねーな」と思ったので観てみた。

新海誠作品は、考えたら負けだ。感じるんだ。

そもそもおかしいじゃないか。高校に入ってから日が浅いとはいえ、自分の学校の若い女性教師がそんな酷い事態に陥っていたら、全く知らないのは有り得ないだろ。ぼっち度高めとはいえ友達が当然のように知っていたのに、ご都合主義にも程があんだろ。それに15のガキがあんな綺麗なお姉さんに擦り寄られて「惹かれていく…」なんて生易しい感情で終わるわけねーだろインポなのか?ホモなのか?

なんつーか、意識高い系な雰囲気が伝わってきた。この作品を観た後だと「君の名は。」が如何に大衆向けに作られたマイルドな作品なのかということがよくわかる。リアルに見せようとしているけれど、登場人物達にリアリティが全く無かった。凝った風景を描くために仕方なくキャラクターを置いただけのような印象を受けた。

舞台となった新宿御苑には、何度か行ったことがある。東屋もよく知ってる。新宿御苑は、確かに良いところだと思う。

全体的には、この程度の感想しか浮かばないアニメだった。あぁーはいはい絵が綺麗ねぇ、くらいなもんだ。つまり、そこまで面白くはなかった。

ここまでが映画だけの感想。

俺はその後、小説の方も読んだ。Amazonのセールで300円くらいになってたから、ちょっくら読んでみるかと思ったのだ。

小説の方は、映画よりも格段に良かった。映画を作ってから新海誠が自分自身でノベライズしたらしいけど、映画よりも描写が大きくて、登場人物がちゃんと人物として成立しているような気がした。映画では、雪野先生はなんか去り際に短歌口遊むイタい女だったし、孝雄は靴オタクのインポだった。小説では映像が無い分、心理描写などが非常に充実していたので、俺でも理解することができた。

まず、時間軸が大幅に拡張されている。始点は母さんの若い頃から始まり、終点は本編の5年後まである。メインはその中でも映画本編の時間で綴られるものの、それだけ時間に幅を持たせているだけあって、登場人物の心理描写に余裕がある。そしてあとがきにも書いてあったことだが、語り手を映画よりも倍以上に増やしている。映画ではモブキャラに近かったような奴らがどういう背景を持っているのかを知る事ができたので、映画の受け取り方も、小説を読む前と後では全く違ったものになると思う。特に、高雄の兄貴である翔太や雪野先生を退職に追い込んだ相澤祥子とかは、小説を読まないと、ストーリーに波紋を広げるためだけに配置された無粋なキャラクターでしかない。

言の葉の庭」という作品を総合的に判断する上で、小説版は絶対に欠かせないだろう。映画だけでは情報が乏しすぎて、ただの意識高い系で終わってしまう。従って俺としては、まず小説を読んでから映画を見るべきだと判断する。

とはいえ、こんなやり方は卑怯なのではないかと思わなくもない。映画の方は、つまらない作品だと俺は思った。お得意の、絵が綺麗なだけで中身の無いアニメだった。それが、小説を読むことによって全く違って見える。小説を読んだ後に俺はもう一度映画を観たけど、やはり登場人物達の見え方が違って、初見と比べて格段に中身のある映画に感じられた。映画であるならば映画単体で内容充実させるべきではないのか、という立場に立つなら、映画と小説を併せないとダメなどというのは、映画単体では駄作と言われても仕方がないと思う。

まぁ別にいいんだけどね。作品は、作者が好きに作って好きに表現するものなのだから、外野の俺がとやかく言うようなことではないのだし。

とはいえ、やはりあれだ。

新海誠作品は、考えたら負けだ。

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竹倉史人/輪廻転生

輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 (講談社現代新書)
 

 

宗教的人間であるわれわれが、人類の太初からの営みである、自らの存在を聖化すること—――大いなるものとの紐帯を創造すること―――を中止することはありえないでしょう。

輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 (講談社現代新書)より引用

 

「死」をどう考えるかというのは、そのままその人の世界観を表す。

俺は、「死」そのものについては特に重要視していない。それまでにどう生きたか、仮に志半ばだったとしても、どのような姿勢だったかを中心に考える。つまり、結果ではなく過程を重視するタイプと言える。いくら重要視していないとはいえ「死」が重要なポイントであることに変わりはなく、「死」を重要視しない理由も「考えてもわからないから」という至極単純な理由であり、その時点で思考を放棄しているからだ。

では仮に、死んでも自分という存在が続くとしたらどうなるのか。例え死んで現在の肉体に縛られた世界では認識できなくなったとしても、自分という存在ないし自我が存続するとしたら、俺の世界観はどう変わるのか。そう思ったので読んだ。いやごめん嘘です嘘ですKindleのセールで安くなってたからなんとなく買っただけです。

 

輪廻転生を信じるか信じないかと大きく2種類に分かれる。キリスト教は、輪廻転生否定派だ。しかし実際には、輪廻転生を信じている地域や慣習は古今東西ありとあらゆる所にあるらしい。それこそ仏教も輪廻転生から如何に解脱するかという宗教だし、輪廻転生を否定するキリスト教とて、それは世界が黙示録によって滅びた後の再生を掲げるからこその否定とも言えると、この本には書いてあった。

要は、「死」とどう向き合うかという精神の戦いの歴史こそが宗教だといえるのではないだろうか。宗教を学ぶ上で俺が必ず考えるのは、その宗教がどうやって信者を繋ぎ止めるか、どうやって信者間を1つの共同体として結び付けるのかという点だ。キリスト教はわかりやすく、キリストないしヤハウェを信じない者は天国に行けないという死後の利益を保証することによって信者を繋いでいる。仏教はもう変態マゾの集まりなんじゃないかと思うけど、解脱の境地に達することによって得られる浮世からの超越間という目標を掲げて邁進する一体感は強いと思う。体育会系だ。大乗仏教になってしまえば、これはもうキリスト教と大差無いだろう。お賽銭を投げれば何か良い事があるんだよきっと。

 

さて、どうやら輪廻転生にも色々な種類があるらしい。

この本では

①再生型・・・自分の親類や子供として死者が生まれ変わる狭いサイクルの転生。自分の娘が自分の父親の生まれ変わりだったりする正直ヤだこれ

②輪廻型・・・何に生まれ変わるかは前世の徳に左右されたりする広いサイクルの転生。ミジンコかもしれない

③リインカネーション型・・・強くてニューゲーム。俺TUEEE

という3タイプであると解説している。

近年の日本では、③リインカネーション型は非常にポピュラーに受け入れられている。

「異世界転生モノ」である。

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転生をする為には、まず「死後も自分の状態がある程度保存される」という前提が無くてはならない。つまり幽霊を怖がる人は、無意識にもこの前提を受け入れている人だ。死後にどの程度前世の状態を受け継ぐのかはそれぞれ違うものの、最近の「異世界転生モノ」で見られるのはかなり高度な引き継ぎといえるだろう。強くてニューゲームだ。厳密には死んでいなくても、精神が引き継がれて別の自分の個体に入るというのも、転生と捉えて良いと思う。

 

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一度死んで生まれ変わった世界で俺TUEEEして女の子にモテまくるというのは、とても原始的な欲求だ。権力欲と性欲を満たしていて、後は食欲さえ満たせば完璧である。異世界転生モノを書く時には、食事シーンを頻繁に取り入れてみてはどうだろうか。生々しい感じがして良いと思う。とはいえ最近は異世界転生モノも使い古されてきて、どのように捻るかの勝負になっている。

転生したらスライムだった件1 (GCノベルズ)
 
転生したら剣でした 1 (GCノベルズ)

転生したら剣でした 1 (GCノベルズ)

 

 

俺は結局どうしたいのか。

次の人生があれば良いとも思うけど、かといって今世を手抜きするというのもどうかと思うし。やはり全てはアリストテレス先生に帰結するのかしないのか。とりあえず眠い。

 

↓こんなふうに生きたい

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「君の名は。」を観たり読んだりした話

www.kiminona.com

 

最近、引越しをした。

引越しをしてからなかなかネットが開通しなかったために投稿するのが遅くなってしまったものの、8月31日、話題になっている「君の名は。」を観てきた。新海誠作品といえば特に有名なのは「秒速5センチメートル」だが、アレは酷かった。俺は、鬱作品に対して免疫が無い。新海誠作品で2人の男女の関係を描くのはこれが3作目と思われるものの、「秒速」が鬱すぎて嫌になったため、今回もあまり気乗りはしなかった。とはいえ話題になっていたことと、せっかく一緒に行こうと誘われたので、行ってきた次第である。

映画を見た後に感想を書こうと思ったけど引越し直後でネットが繋がらず、見終わった後の気持ちを忘れそうだったので小説も読んだ。ついでに番外編も読んだ。まぁなんだ、それだけ良い作品だったということだ。

 

個人的な感想からいえば、とりあえずハッピーエンドっぽく終わってくれて良かった。

人との縁とは、呪いである。

本作では結局2人は最後に再会できて良かったものの、再会するまでの間、胸に大きな寂寥感を抱えたまま日々を過ごしていた。瀧くんは5年間、三葉に至っては実に8年間だ。もしあのまま再会できなかったなら、2人がどう折り合いをつけるかはわからないものの、一生その寂しさを抱えたまま生きていくことになっていたと思われる。人との衝撃的な出会いとか、特定の人への強い想いとかそういった感情は、成就しない限りその人を縛り続ける。もし諦めて別々の人生を歩んでいって普段は忘れたと思っていても、ふとした時に思い出してはハードボイルドな気持ちになったりする。それが大人というものなのかもしれないけど、現にそういう風に日々を生きている俺としては、そんな体験や感情はもう2度と御免だ。そんな俺のダメな方の琴線を見事にボディブローしてくれたのが「秒速」だったので、もうあの作品には触れたくない。でも今回はハッピーエンドで終わってくれたので、こうしてじっくり感想を書く事ができている。繊細な俺をもっと労ってほしい。斜に構えるのは不得意だ。

客観的なことをいえば

設定は陳腐だしこれといって複雑な点も無い、特筆することのない内容だった。小説も読んだけど、まず場面が目紛しく変わりすぎてよくわからない。観た人はそのシーンを思い出すことができるけど、小説を読んでから映画という順番ではちょっと厳しいんじゃなかろうか。あ、でも番外編は良かった。映画では瀧くんin三葉シーンが多かったものの、三葉in瀧くんが三葉の地元でどう過ごしていたかは断片的にしか出てこなかったので、その点で充実していた。他にもテッシーやお父さんの背景とかも垣間見ることができたのでスッキリした。

本筋自体は凡百な内容である本作がこうして俺を含み方々から好評価を受けているのは、やはり絵と音楽の力が大きいんじゃなかろうか。新海誠作品は以前から絵については高い評価を受けており、本作でもそれは遺憾無く発揮されていた。糸守町や御神体のある山頂の風景はとても綺麗だったし、見せ場である彗星の描写も素晴らしかった。RADWIMPSの音楽もよく合っており、今度折を見てアルバムを借りてこようと思っている。

やはりこの作品は頭でぐちゃぐちゃ考えるよりも、まずはアートとして没頭してみるべきだと思う。実際ツッコミ所は非常に多くて、俺は映画を見ている途中で考えるのをやめた。久々に非常に満足感の高いアニメ映画だった。酔っ払った拍子にブルーレイとか注文してしまう可能性がある。気を付けよう。

 

君の名は。(通常盤)

君の名は。(通常盤)