馬鹿の独り言

物忘れの酷い俺のためだけのブログ

【映画感想】Fate/stay night [Heaven's Feel]II.lost butterfly

劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」 Ⅱ.lost butterfly

 

2019年1月14日鑑賞


凄かった。(語彙力が無い)

見ている間は全体的に圧倒されっぱなしで、終わった時には汗かいてた。劇場の空調のせいかもしれない。でも、映画の熱量に圧倒されて汗かいたとしても不思議でないくらい凄かった。3回くらいリピしたい。

でも思い返してみれば、Fateの華ともいえるサーヴァント同士の戦闘は、大きなものでは中盤の一度きり、アインツベルン城での戦闘だけだった。では何に圧倒されてたのかといえば、ufotable流石っすって感じの美麗な作画と、登場人物の心理描写がとても丁寧かつドラスティックに描かれていて、内心の葛藤や決断が見る側にも伝わってきたからだ。

2章を見てから思うのは、1章は、士郎が桜の味方になるという決断に至るための前置きに徹していたんだなということだ。思い返せば1章で描かれていたのは、士郎と桜の過去と舞台設定くらいなものだ。戦闘シーンを尺稼ぎと言ってしまえば、ストーリーとして描写されていた事柄は少なかった。そのタメが、今回の2章で爆発している。だからこそ今回は、見た目的な派手さは少なくとも、感じる熱量は1章を超えるものがあったのだと思う。

では、その熱源はどこにあったのか。やはり士郎だ。HFは、士郎に対して人間味を感じられる唯一のルートであると俺は思っている。FateルートもUBWルートも、士郎は、理想のために色んなものを追い求めたり犠牲にしたりする。それはそれでなんとなく神話的で感じ入るところがあるものの、俺のような俗に塗れた凡人には、正直よくわからない。その点HFでは、桜という現実的な対象に理想の矛先を向けることによって、現実的であるが故に生まれる葛藤や苦悩がとても良く滲み出ている。今回の映画のクライマックスがどこだったかといえば、俺は、士郎が桜を殺そうとして包丁を持ち出すも、結局殺せずに涙を流して立ち去るシーンだったと思う。桜の味方になるといって桜を抱き締め、遠坂をも無視して連れ帰ったものの、それでも自分の理想の名残が桜を殺せと言ってきて、その軋轢に涙を流す。そして桜も、その士郎の葛藤を肌で感じているからこそ、それでも自分を殺さないという選択をした士郎に対して涙を流す。この時描かれた涙がどんなものだったかは、人によって解釈が違うと思うけど、まぁ見て感じろということだろう。

俺は、基本的には映画やテレビよりも小説派だ。心理描写がわかりやすいし、尺の都合上カットされるシーンなどがあると、どうしても勿体ない気持ちになるからだ。でも今作に限っていえば、映画で見れて本当に良かったと思う。描写が繊細で比喩表現も多く、正にufotable入魂といった感じだった。最近は作画方面に濃密なアニメ映画も増えてきていて、余は嬉しい。

あとあれだ。アーチャーお前、格好良すぎるのも大概にしろよ。お前並行世界の自分を全部抹殺するのが聖杯戦争の参加理由とか言いつつなーにが「私怨にこだわってる状況じゃない」だの「達者でな遠坂」だのと、いい加減にしろよ。聖杯捧げるぞこら。当然スキルマだバカ野郎。

クライマックスの3章は来年春公開とのことで、明らかにHFのエピローグに被せてきている。くっ、あざとい。でも感じちゃう。今回の引きからすると、3章は、最初から最後まで超ド迫力の戦闘シーンだらけになることが予想される。エヴァ破みたいになりそう。今から楽しみだ。

春遠からじ。

三浦しをん/舟を編む

舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

 

 

 

俺はラノベしか読まないと言ったな。

あれは嘘だ。

 

俺は、働きたくない。好きな四字熟語は「不労所得」。働かずに給料だけ欲しい。

しかしそれと並んで、つまらない仕事はしたくないとも思っている。やるからには熱心に仕事に取り組み、1つずつ成果を積み上げていきたい。自分の仕事に対しては、情熱的でいたい。何故なら、サラリーマンの人生は「睡眠・仕事・その他の時間」で3分割されているからだ。人生の1/3を占める仕事に対してただ漫然と死んだように取り組むということは、自分の人生の1/3を無駄に潰すことに他ならない。そんなのは流石に勿体無いと思うし、働きたくない俺の怠惰な気持ちと比べても、コスパが悪いと思う。だから、俺は働きたくないけど、仕事に熱心に真摯に取り組む人は好きだ。

結果的に俺は、小説・映画・アニメとメディアミックスを制覇した。内容が大変気に入ったというのもあるし、Amazonプライムで映画とアニメは無料で観れたから、媒体毎に比較してみようと思ったからだ。

それぞれを見比べて最初に思うのは、西岡の動かし方が全く違う。

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西岡が辞書編集部から異動になるまでは、どの媒体でも概ね同じだった。しかし、麗美にプロポーズする辺りから最後までずっと、西岡の動き方が大きく異なっている。

西岡が麗美との結婚を決める流れは

小説:学生バイトにラーメンを奢る道中、自分の気持ちに正直になる

アニメ:社内恋愛を隠したいために避けていた飲み屋に、バレても良いかと思って誘う

映画:馬締と麗美と3人で飲んでる時に酔って号泣してプロポーズ

と、それぞれ大きく違っている。その後も出てくる頻度が全く違っており、最も多く出てくるのはアニメだ。他にも相違点は多くある。今まで1つの作品を3つものメディアで比較するなんてしたことがなかったので、媒体によってこんなにも見え方・見せ方が違うのかと驚いた。

小説は、やはり心理描写に優れた媒体だ。何を考えているのか文章でダイレクトに伝わってくるので、キャラクターを掴むという点においては最も優れている。しかし当然映像ではないので、情景がイメージしにくいという難点がある。だからこそ、良い小説は映像化されるわけだけど。

アニメは、実写映画に比べて原作の再現度が高い。映画で西岡を演じているのは、オダギリジョーだ。西岡は軽薄すぎるチャラ男というキャラだったけど、映画ではオダギリジョーの個性に引きづられて、普通に渋くてカッコいい感じになっている。アニメでは原作通りに有能なチャラ男だったので、俺のイメージする西岡に近いのはアニメの方だった。アニメの問題といえば、時間の制約があることか。1話23分くらいで緩急をつけないといけない為か、描写が大味になりがちだと思う。原作だと後半あまり出てこない西岡がアニメでは結構な頻度で出てきたのは、真面目でテンション低めなキャラクターが多い本作の中では、唯一軽くて動かしやすいキャラだったからではないかと思う。

映画で特に良いと思ったのは、舞台のイメージが鮮明になったことだ。例えば、用例採集カード。映画ではとても古くて黄ばんだカードから最新の白くてピカピカなカードまで、様々な用例採集カードが出てきていた。そういう小道具から、辞書編集部が本当に長い間辞書作りに取り組んできたという空気がよく伝わってきた。他にも辞書編集部のある玄武書房旧館の雰囲気とかも、俺が過ごした高校のように古くて崩れそうな空気を出していて、辺境に追いやられた部署なんだと感じられる。こういった質感の表現に関しては、実写でなければ再現できないと思う。

 

総じて良い作品だった。松本先生が亡くなった時とかボロ泣きしたしな。最近仕事がキツくて正直やってらんねーなと思うけど、少しでも良い仕事ができるよう、頑張ろうと思った。

壱日千次/バブみネーター

バブみネーター (MF文庫J)

バブみネーター (MF文庫J)

 

 

男ってのは、みんな潜在的にマザコンだから…

某社営業部、係長の言葉

 

「バブみを感じてオギャりたい」

俺は今日(2017/9/26)、この言葉に初めて遭遇した。

こんな画期的な言葉があったのかと打ち震えると共に、最早己は現役のオタクではないのかと心で涙を流した。

上記のラノベの解説によると

バブみ:年下の女性に母性を感じること

オギャる:年下の女性に甘えること

を意味するらしい。年上の女性に母性を感じ甘える事について、本件の「バブみ」のような言葉は思い浮かばない。言うまでもなく当然ということなのか。年下という世間的には庇護すべき対象に自身を包み込む母性を感じ、オギャることは、確かに独自の単語を創出して表現しない限り伝わりにくいアンビバレントな性癖かもしれない。

この「バブみ」という単語、togetterの記録を見る限りでは、2016年には既にポピュラーな単語として認知されていたようだ。

togetter.com

この単語ができたのは恐らくかなり最近だが、この「バブみ」の歴史は長い。

まず真っ先に思い当たるのが「源氏物語」の紫の上である。

源氏物語 05 若紫

源氏物語 05 若紫

 

光源氏マラリアに罹って療養中、年上の初恋の女性(藤壺)によく似た10歳のロリ幼女(紫の上)におちんちんがビクビクしてしまう。その後、その幼女の後見人が亡くなって独り身になってしまったので、遂には光源氏が引き取って理想の女性に仕立て上げようと決心する。そもそも年上の初恋の女性というのが自分が幼い頃に亡くなった母親に似ているというので、話の流れとしては

母親

⬇︎

母親に似ている藤壺

⬇︎

母親に似ている藤壺に似ている紫の上

という世代を超えたマザコンなわけだけど、紫の上にバブみを感じているという点は間違い無い。「バブみを感じてオギャる」には性欲を含んでいいのかという点については、大いに議論の余地があるだろう。

次に思い当たるのが、赤い彗星のアレである。

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こいつの変態性を最も端的に表す有名なセリフがある。

ララァ・スンは、私の母になってくれるかもしれなかった女性だ

オタク諸氏にとっては、このシャア・アズナブルこそがバブみの原点といえるだろう。このラノベにおいても「九条ララァ」という名前のヒロインが出てくるが、お察しの通りである。

このように「バブみ」という概念自体は、既に遥か昔から存在していた。有史以来「年下の/女性に/母性を感じること」というセンテンスで表現されていたものが、21世紀の今、正にこの時「バブみ」という単語に結実したのである。なんという歴史の畝りなのか。人類にまた新たな叡智が刻まれたのだ。刻が見えるよ。

ラノベの中身についての感想は、特に書くようなことはない。普通に面白かったし、俺の理想の生活そのものだった。残業に入りかけていた仕事を我慢できずに無理やり切り上げ、本屋に寄り道。買って帰ってきて夕飯食べてからぶっ通しで読み続けて、最後まで読み切った。風呂で一息ついて色々考え、現在これを書いている。実に羨ましい内容だった。でも俺がこのラノベのような環境に置かれたら18禁は間違いないと思うので、やっぱどんな方向でも人間辞めた奴ってのは凄いんだなと思った。これが修羅なのかと。

ちなみに、俺はかなり甘えるタイプである。勉強しなきゃなとか本読まなきゃなとか筋トレしなきゃなとか思っていても、ベッドでゴロゴロしながら甘えているだけで3時間くらいは平気で過ぎる。俺にもオギャりの才能があるということか。しかしそうであるなら、まずはオギャる対象が欲しい。ロリ巨乳お姉ちゃんとか。いや、それではダメだ。オギャらせてもらうためには、まずは自分からオギャらなければ。己が変われば世界が変わる。それが天の道。

↓天の道をバブみ、総てをオギャる(シスコン)

S.H.フィギュアーツ 仮面ライダーカブト ライダーフォーム