馬鹿の独り言

物忘れの酷い俺のためだけのブログ

山根節/「儲かる会社」の財務諸表

「儲かる会社」の財務諸表 48の実例で身につく経営力・会計力 (光文社新書)
 

 

社畜となった身の上、1つどう足掻いても習得することを避けられない知識がある。

金の知識だ。

人間社会は現状、ほぼ全て金の遣り取りで動いている。それは自分の生活は勿論の事、人生の半分を捧げる会社においても当然のことだ。そもそも会社という組織は営利組織で、その目標が「金を稼ぐ」という手段でもって達成されるのであれば

「金ってなによ」

という疑問が湧くのは当然のことだろう。社会に貢献するにも金が必要だからな。

金に関する知識が無ければ「自分の会社・業界がどんな状態なのか」「今後世情はどうなっていくだろうか」「それを受けて自分や自分の属する組織はどう身を立てていくべきだろうか」「自分の世帯収入で家族を養っていくにはどうするのが最適だろうか」などなど、自分の人生のほぼ全部についての見通しが立たなくなる。金ばっかりで嫌になるくらい、現代人の人生は金に支配されている。

「金」と一口に言っても、そこから更に大きく「経済」「金融」「会計」と3つの分野に分岐する。これらは互いに密接に関連しながらも、それぞれ違う分野であると世間一般では捉えられている。今回は、その中でも自分達の生活で最も身近な「会計」の分野について、一度しっかり学ぼうという欲求が出てきたので、読んだ。

 

日本には「簿記」という資格があって、俺はその中でも決して低くない試験を通過している身なので、簿記会計に関してはそれなりの知識を持っているつもりだ。しかしハッキリ言って、簿記の勉強だけしても価値は無い。あくまで簿記の知識をというのは皮であって、本当に美味しい中身を味わうには、そこから更に深く研鑽を積まなければならない。その本当に美味しい中身とはつまり「財務諸表の読み方」だ。簿記の知識を基に、企業が作成する財務諸表がどのようにできているのかは理解できる。問題はその先で、その数字が何を意味するのかわからなければ意味が無い。

その点、この本はとても参考になった。「財務諸表の読み方」と言っても言うは易しで、その知識を身につけるのはけっこう骨が折れる作業だ。まずROE流動比率など、簿記の試験には出てこない指標の基礎知識を身につける必要がある。この辺りは「投資」の分野である。そこら辺がある程度頭に入ったら、総務省のホームページで経済指標を引っ張ってきて、分析しようとする業界の平均的な状況を把握する。次に、財務諸表を公開している企業(主に上場企業)のホームページに行って、その会社の数年分の決算短信を読み込み、分析する。 決算の内容説明を熟読し、去年と比べてどういう成果が出たとかどう目標が変化しているかなどを把握する。それを数社繰り返して、やっと1つの業界についてまともな知識が身につく。大学院時代には何回かこういうことをやったものだけど、途中でかなりウンザリしてくる。1日2日でできる分析ではない。そんな手間のかかる分析を、著者は会計士や教授としての長年の経験を踏まえつつ、わかりやすく解説してくれている。特に、日本の各業界を網羅的に分析してから、その業界の現状を簡単に纏めてくれているのが非常に助かった。ここまで丁寧にコンパクトに教えてくれる本はあまり無いんじゃなかろうか。

この本はその内容は言うに及ばず、どういう資料を参考にすれば著者のやったような分析ができるのかという方法が、内容からある程度推察できるという点で優れている。この本を参考にして同じようなステップを踏めば、誰でもそれなりの分析ができるんじゃなかろうか。

俺は会計の本はあまり読まないものの、この本は買って良かったと思う。俺もちょっと何社か、簡単に分析してみようか。

 

それにしても、あのウンザリする作業を僅か数百円出すだけで、その筋に人生の大半を費やした専門家が懇切丁寧に教えてくれる。分業は良いね。読書は心を満たしてくれる。人類の生み出した文化の極みだよ。

石田勇治/ヒトラーとナチ・ドイツ

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

 

 

ちょっと前に「帰ってきたヒトラー」を読んだけれども、俺はナチスについて何も知らない。

ティムール・ヴェルメシュ/帰ってきたヒトラー - 馬鹿の独り言

俺は、独裁政権が好きだ。人を従えたり操ったりするのちょー楽しい。リーダーシップと言い換えても良い。いや、別にだからって独裁者になりたいとか言ってるわけではない。人間心理とか、管理システムとか、人類と永遠に切り離せないであろう「権力」という構造に興味があると言っているんだ。勘違いしないでよね。独裁者になるくらいならベッドでごろごろしてる方が好きだし。

そもそも、そんな俺の興味とか以前の話だ。仮にも大学院まで卒業して大人の仲間入りを果たしたっぽい人間として、人類史に消えない傷痕を残した第二次大戦の主役たるナチス・ドイツを全く知らないなんて、恥晒しにも程がある。

そう思ったので読んだ。

 

この本によれば、エーリッヒ・フロムの言っていたことは真実だったようだ。

ナチのイデオロギーは小さな商店主、職人、ホワイト・カラー労働者などからなる下層中産階級によって、熱烈に歓迎された。

自由からの逃走 新版より引用

今回ナチスの歴史を辿ってみるまではそんな馬鹿な話があるもんかと思っていたけど、どうやらヒトラー率いるナチスは、本当に選挙によって民衆から支持され、他の政党を謀略で突き崩しつつ躍進していき、いつしかドイツ=ナチスヒトラーというところまで上り詰めたらしい。正直全く実感がわかない。荒唐無稽な話だ。

他にも、印象的な一文がある。

政府の反ユダヤ政策は急進化した。だが、ほとんどの人が、これに抗議の声ひとつあげなかった。いま聞くと、それも異様なことに感じられるが、人口で一パーセントにも満たない少数派であるユダヤ人の運命は、当時の大多数のドイツ人にとってさほど大きな問題ではなかったのである。

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)より引用

学校ではユダヤ人虐殺が強烈な印象で教え込まれていたし、ユダヤ人は何千万人と殺されたイメージがあったので、当時のドイツではユダヤ人の割合はけっこう高いんじゃないかというイメージがあった。フロイトアインシュタインもユダヤ系だし、先に引用したエーリッヒ・フロムもそうだ。しかし、実際には1パーセントもいなかったというじゃないか。ユダヤ人がこんな少ない割合でしかいなかったとなると、話は変わってくる。全体の1パーセントに満たないなら、1つの集合住宅や地域に数人いるかいないかという程度でしかなかったということだ。そんなんだったら(ヒトラー的な意味での)アーリア人一般市民からすれば、殆ど気にならないかも知れない。俺だって、自分の住んでる地域の回覧板で誰かが亡くなりましたとの報せが回ってきても、正直なんとも思わない。顔も名前も知らない人の訃報を見ても、特にピンと来ないからだ。

それに加えて

ヒトラー政権下の国民は、あからさまな反ユダヤ主義者でなくても、あるいはユダヤ人に特別な感情を抱いていなくても、ほとんどの場合、日常生活でユダヤ人迫害、とくにユダヤ人財産の「アーリア化」から何らかの実利を得ていた。

たとえば同僚のユダヤ人がいなくなった職場で出世した役人、近所のユダヤ人が残した立派な家屋に住むことになった家族、ユダヤ人の家財道具や装飾品………(中略)………動産・不動産を「アーリア化」と称して強奪した自治体の住民たち。無数の庶民が大小の利益を得た。

 ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)より引用

とある。経済学的な言い方をすれば、「富の再分配」を市場メカニズムに任せるのでなく人為的かつ爆発的に引き起こしたわけだ。

これで実利を得た人がどのような気持ちだったかはわからないけど、中にはユダヤ人がいなくなってくれてラッキーと思っていた人も少なからずいた筈である。本の中では「共犯者となった国民」というタイトルが付けられており、正にその通り。望まずして財産を押し付けられたという清い人がいたかもしれないけれど、少なくとも、ラッキーと思った人はヒトラーのユダヤ人迫害に加担してしまっている。しかも、その心理的な障壁は非常に低い。だって待っているだけで良いのだ。自分でユダヤ人を銃殺したりする必要は無い。待っているだけでマイホームが手に入るというのなら、そりゃあ嬉しいに決まっている。

 

「帰ってきたヒトラー」で描かれていたヒトラーは、本当に魅力的な人物だった。実際のヒトラーがどうだったかは知る由も無いけど、正直な印象として、小説で描かれている程に潔い人物だとは思えない。とはいえ現にヒトラーは1つの国を征服しており、それにより民衆に利益を齎したというのもまた事実だ。民衆から支持を受け、君主として上に立ち、国民に利益を施すというのは、リーダーに求められる最も基本的な条件である。内容や結末はともかくとして、ヒトラーはこれを満たすことに成功している。

ヒトラーの何がいけなかったかと言えば、その方法が「人種差別」であったという1点に尽きる。ヒトラーは、第一次大戦の影響で荒廃してしまったドイツ経済の中で立ち上がり、民衆の不満を取り込み煽動して与党を打倒し、遂にはドイツそのものになった。そして国民の圧倒的な支持を受け、投票率・得票率ともに9割強という現代日本の政治家が見たら卒倒しそうなスコアを叩き出した。ユダヤ人迫害から一歩引いてみれば、ヒトラーは確かにドイツ国民にとってのリーダーだったのである。

 

ヒトラーの持つ最も優れた資質は

「人の負の感情を煽動し、崩壊させること」

だったのだと思う。人間社会で生きる俺達も、より良い人生にしようと日々生きているからこそ、時には人の負の側面と向き合わなければならない。そう思えば、唾棄すべき人種差別主義者だからといって無視するには、彼の存在は余りに大きすぎるのではないかと感じた。

 

↓参考文献

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

ティムール・ヴェルメシュ/帰ってきたヒトラー

帰ってきたヒトラー 上下合本版 (河出文庫)

帰ってきたヒトラー 上下合本版 (河出文庫)

 

アドルフ・ヒトラー

ネズミの脳ミソほどの教養すら持たない俺でも、流石に名前くらいは知っている。人類に消えない傷跡を残した稀代の人種差別主義者だ。

そんなヒトラーが現代のドイツに蘇ったらしい。

こんな小説が、第二次大戦でドイツと同盟国であった日本で読めるというのは何とも感慨深い。

 

正直言って、俺はヒトラーのことはよく知らない。ナチスを題材とした本を数冊読んだことはあったけど、ヒトラーがどんなことをやってきたとかどういう性格だったのかとか、そういうディテールはほぼ全く知らない。勉強してないからな。

この作品に出てきたヒトラーは、非常に魅力的な人間だった。

自分の信念を貫く、安易に迎合しない、批判されても説き伏せて味方につけてしまう、自分や自分の仲間の責任は全面的に自分が負う、真剣に部下の身や将来を案じる、知ったかぶりして自分に同調してくる烏合の衆をバッサリ斬り捨てる、などなど。

リーダーとはこうあるべきだと言われたら着いていってしまいたくなるような人物だった。

そんなもんだから、最初は無一文の状態から始まって

キオスクの居候→テレビ局所属のコメディアン→コメンテーター→論客→政党発足

と、少しずつでも確実にステップを踏んで勢力を拡大していく。

現代ドイツでナチスがタブーであるというのは、俺も知っている。「HELLSING」でハーケンクロイツが謎のマークに修正されてしまったのは、当時今以上に馬鹿だった俺にもけっこうな衝撃を与えてくれた。

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それほどまでにナチスがタブーとされている現代ドイツでも、ヒトラ―に感化されたテレビ局の職員達は

「ジークハイル!」

と叫んでしまう。

とはいえ登場人物たちは、まさかヒトラーが現代に蘇ったなんて気付いていないし、常識的に考えて目の前のコメディアンが本気でナチズムを再興させようと企んでいるとは夢にも思っていないので、ヒトラーの不審な言動にもそれぞれ都合の良い解釈をし本質を見逃してしまっている。だから、本気でナチスしてるヒトラーとは最後まで擦れ違ったままで本編は終わる。本編の後にヒトラーがナチズムを表明して周囲がそれに気付いたらどんな反応をするのかは、想像するしかない。この辺りが「風刺」として許されているポイントだと思う。

この小説は所詮フィクションだと言ってしまえば身も蓋もないけど、こうやって気付かぬうちに国という単位で自ら破滅に突き進んでいくというのは、80年ほど前にドイツで実際にあったことだ。ありえないことだと笑い飛ばす気にはなれない。

ナチのイデオロギーは小さな商店主、職人、ホワイト・カラー労働者などからなる下層中産階級によって、熱烈に歓迎された。

自由からの逃走 新版より引用

俺も気付いたら独裁政権に加担しないよう、若々しい精神を保っているよう日々努力しようと思う。

 

 

 

でもさー

ぶっちゃけ人を支配したり操ったりするのってスゲー楽しいんだよな。あの快感は一度味わったら忘れられないよ。

独裁政権は別にナチスに限った話でなく、人類が文明を持つ前からずーっと大なり小なり存在してきたものだ。ということは、独裁政権を作りやすい土壌とか法則が必ずある筈なんだよなー。そういうのスゲー好きなんだよなー。

とりあえずナチスの歴史を勉強してみよう。