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馬鹿の独り言

物忘れの酷い俺のためだけのブログ

【雑記】納得は全てに優先すると思う俺の現状

かつて、ジャイロ・ツェペリはこう言った。

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納得は全てに優先するぜッ!!

でないとオレは『前』へ進めねぇッ!

『どこへ』も!『未来』への道も!探す事は出来ねえッ!!

俺の現状はどうだ。

新しい会社に転職してからというもの、最初の数ヶ月は平和な日々を過ごしていた。朝8時半に家を出て、午後5時に退社。夜はTSUTAYAで借りた映画を観たり、家でのんびりゲームや読書をしたり、居合の稽古に精を出したりと、実りある豊かな日常生活だったと思う。しかし、元上司の退職から状況は一変した。元上司の仕事の大半を入ったばかりの俺が引き継ぎ、新しいシステムの導入に伴う調整も俺がやり、大口の顧客の処理を任されたり、今や残業時間は3ヶ月連続で30時間超。仕事の質も量もかつてとは比べ物にならないくらい引き上げられ、大なり小なりミスをしては凹む日々。読書の量も激減してしまって、書こうと思ったネタが浮かんでも中身を仕入れるのに時間がかかる。こうして文章化するのに、2ヶ月近くもかかってしまった。他の同僚はみんな定時に帰る。俺だけだこんな状況なのは。

なんなんだこれは。おかしいだろ。俺は働きたくないんだ。

ツェペリ家の血を継ぐ俺にとって、この状況は見過ごせるもんじゃぁーない。俺は、この現状に『納得』していない。

とはいえ、納得をしようにも考える材料が足りない。そんな時、俺は今までどうしてきたか。本を読むことだ。

まずは「組織で働く」という意味での「労働」について、ルールブックである労働法を齧ってみた。

労働法入門 (岩波新書)

労働法入門 (岩波新書)

 

我が国の労働法では、雇うまでは会社の自由をかなりの程度認めているものの、一度雇ってしまうとクビにしたり減給したり減給を伴う降格処分にするのは、とても厳しい制限が設けられているらしい。また、労働組合が無い会社であっても、ユニオンや裁判所といったセーフティネットが外部にあることが述べられていた。俺が勤めているのは中小企業であり、労働組合が無い。良い職場だとは思っているので、現状、致命傷になるような問題は見当たらない。しかし今後何があるかはわからないので、ちょっと齧った程度とはいえ、外部に命綱があるというのは良い情報だった。追々詳しく調べてみようと思う。

そもそも俺が労働に対して悪いイメージを持っているのは、俺が思春期真っ盛りの頃から、ブラック企業による過労自殺や過酷な労働状況というミクロな面から日本全体の不況というマクロな面まで、日本の社会全体に対する悪い印象を浴びるように摂取していたからだ。それは今も変わっていない。だから、俺は働きたくない。どうしてそんな悪い環境で死ぬようなことせにゃならんのだ。意味がわからない。過労自殺のニュースを見る度に自殺するくらいなら辞めればいいのにと不思議に思うけど、そんな簡単な話じゃないとかいう意見も聞く。でも自殺するよりも難しいことって、世の中あんまり無いんじゃなかろうか。そんなこんなで、俺には労働に対する悪いイメージが、耳の中でゴロゴロいう耳糞のようにこびりついている。

俺は現状について不満を持っており、納得していないけど、ではどんな環境であれば納得するのか。それを明確にしておかなければフェアではない。というわけで、以下に俺の理想の環境を書き出してみようと思う。

①家族との時間を十分に確保できる

俺は思う。社会よりも、まずは家族に必要とされるような人であらねばならない。だから、毎日遅くまで残業して、家族が寝静まってからひっそりと帰宅するなんて生活は絶対に嫌だ。仕事が終わって家に帰って、家族の夕飯を作るくらいの余裕があるのがベストだ。

②インプットの量と質を高める

一日中会社に篭って仕事をしていても、行き着く先はその業務のプロでしかない。しかし、それではアイデアの種が増えないので、いつか必ず、早い段階で成長の限界に達してしまう。会社の業務を改善するために真に必要なのは、会社の中での業務で新しいことにチャレンジしつつ、会社の外でも勉強を怠らないことだ。本を読んでも良いし、会社の外のコミュニティに属してみても良い。家族とのコミュニケーションで英気を養っても良い。そうやって自分が豊かなになったおこぼれを会社に齎すことでこそ、生産性は高まる。

③仕事とプライベートの切り替えをしたくない

よく仕事とプライベートのメリハリをつけろというけど、俺はこの意見については否定的だ。仕事だろうとプライベートだろうと、自分の人生の大切な一部分であることは同じだ。一般的な現代人の人生は、睡眠・仕事・プライベートで三分割されている。この中で、どれが最も大事かということはできない。だからこそ、どれに対しても偏ったウェイトを置くことはしたくない。勿論職場でのマナーなどは守っていくけど、マナーを守らなきゃならないのはプライベートでも同じなので、よくよく考えると、こういった面でも大した違いは無いことに気づく。

 

以上のような条件が揃っていれば、俺は仕事についてというか、自分の人生に対して『納得』するだろう。では、上記の条件を揃えるためには何が必要か。

「時間」である。

会社以外に自分のリソースを割くだけの時間と余裕が、俺には絶対に必要だ。仕事以外に時間を割くことができれば俺自身が豊かになり、結果として会社も豊かになる。だからこそ、俺は何としても定時帰りを定着させなければならない。

でも現状はどうだ。会社に対して時間を割きすぎていて、②の時間が特に減らされてしまっている。由々しき事態だ。

定時帰りを獲得するためには、会社での業務を1つ1つ改善していかなければならない。

業務改善の方法については、もう世の中には腐るほど紹介されている。その中で、俺が今回参考にしたのはこの本だ。

著者はかつて過労死ラインを余裕でぶっちぎるような生活をしていたものの、ある日限界に気付いたのをきっかけに、定時帰りができる仕事の仕組みを構築するように変えていったらしい。

この本で特に参考になったのは、仕事の属人性を徹底的に排除するよう仕向けたことだ。人数が足りていない職場にありがちなのは、その人にしかわからない仕事が多いことである。特に、期限が定められているものは質が悪い。俺が持っている仕事も、こういうものが多い。期限が決まっており、俺しかやり方がわからない。逆に、俺は他の人が何をしているか、概要程度しかわからない。こんな状況では休暇はとても取りにくいし、業務が立ち行かなくなるリスクも高い。

属人性を排除するために著者は「徹底したマニュアル化」「主担当と副担当による2人チームでの仕事」「マネージャーに強制的に帰宅時間を申告させ、それを超過した場合は厳重注意に処す」といった手段により、仕事の仕組み化を進めたとある。

俺はまだ管理職ではなく、権限が小さいのであまり派手な改革はできない。今後隙を見て、俺の仕事をスマート化する手段を模索していこうと思う。

ラノベディケイド

年末年始は、ラノベばっかり読んでいた。

もうなんか真面目くさって色々ぐちゃぐちゃ考えるのがめんどかったんだ。まぁそういう時もある。

俺がラノベを読み始めたのは、高校2年くらいの頃だったと思う。もう10年以上前の話だ。今にして思えば、ちょうどその頃は「ラノベ」という分野がいよいよ本格的に1つのジャンルとして確立され、成長を始めたくらいの時期だったように思う。「キノの旅」とかがスタートしたくらいの時期である。ちなみに俺が初めて読んだラノベは「しにがみのバラッド」というやつだ。

しにがみのバラッド。 (電撃文庫)

しにがみのバラッド。 (電撃文庫)

 

当時世の中舐め腐ったナメクジのようだった俺は、これの猫の話を読んでボロ泣きして初めてラノベ界へと足を踏み入れた。以後10年以上たっても、小説はほとんどラノベしか読まない。

良い機会なので、俺が今まで読んだ中で特に思い出深いものをいくつか振り返ってみようと思う。

 

文学少女シリーズ

“文学少女”と死にたがりの道化 (ファミ通文庫)

“文学少女”と死にたがりの道化 (ファミ通文庫)

 

名作である。思い返せばぐっちゃちゃでドロドロな面倒臭い人間の流血系くんずほぐれずな話だったと思うけど、当時の俺はこの作品をえらく気に入っており、新刊をとても楽しみにしていた。サブタイトルが微妙に中二病臭いのもまた良かった。俺が読書を習慣とするきっかけになったのは、このシリーズのおかげだ。実家の本棚には未だに全巻しっかりと鎮座しており、俺の原点である。どこが良かったのかと考えてみれば、やはり登場人物の心理描写が非常に繊細だったことだと思う。当時の俺はそう思っていた。今読み返したら、どう感じるかはわからない。

 

②此よりは荒野

Gunning for Nosferatus1 此よりは荒野 (ガガガ文庫)
 

5回くらい読んだ。ガガガ文庫黎明期、本屋で本棚を睨みつける以外にすることのなかった俺は、宇宙の意思に導かれてこの本を手に取った。本好きであれば、こういう経験は一度はあるだろう。初めて読んで以来、俺は何回も読み返した。展開はベタだし設定はありきたりで、要素だけ見ればそこまで惹かれるようなことは無いと思われる。しかし、文章が圧倒的にカッコいい。無駄にカッコいい文章といえばやはり「奈須きのこ」が真っ先に出てくるだろう。奈須きのこの文章は確かにギットギトの中二病でとても大好きだけど、あれほど華美ではなく、ストイックなカッコよさをこの作品は醸し出している。銃や戦車のカッコよさに似てるだろう。でも、嘘つきだ。サブタイトルに「gunning for nosferatus 1」と書いてあるのに、続刊が一向に出ない。いつまで俺に夢を見せるつもりだ。いい加減にしろ。

 

③バカテス

バカとテストと召喚獣

大好きだ。1巻をなんとなく買って帰りのバスで読んでたら、笑いが止まらず腹を抱えて痙攣していたので同乗者のお婆ちゃんに心配されたのが非常に恥ずかしかった。どこが面白かったかと聞かれると、お笑い芸人にギャグの解説を求めるようなものなので上手くは言えない。このラノベは後にまさかのアニメ化を果たし、俺としてはとても心配だったけど、アニメはアニメでよく出来ており、アニメも大好きだ。ひたすら明るく、読んだ後は元気になれる作品である。明久シネ。

 

空ろの箱と零のマリア

2009年から2015年まで、完結まで6年もかかったクソみたいな長期休暇シリーズだ。もう完結しているからこれから読む人には関係無いけど、リアルタイムで発売を悶えるほど楽しみにしていた俺はとってもやきもきさせれられたものだ。1巻の面白さに圧倒されて、2巻以後も買ったその日に読破してしまうほどにのめり込んでいた。この作品の面白さはどこかといえば、ミステリー的な要素を合わせて津波のように押し寄せる苛烈な展開の数々だろう。下手にシリアスぶって単なるオナニーじゃねーかというようなシリアスさと違って、この作品の人物達は全員、純粋に前向きな気持ちで自分の両脚を切り落とすような決断を下す。もっとマシな選択はできなかったのかと思うけど、それでも彼らが前向きに希望に向かっているように見える辺り、真っ向からバカにすることもできない。そういう心理がこの作品の苛烈さを一層引き立てていて、シリアス系ラノベであればこの作品に勝てるやつを俺はまだ知らない。そんなだから、最後はちゃんとハッピーエンドなので安心していい。にしても、完結まで6年も経ってるからか、挿絵の絵柄が変わりすぎだろう。確実に萌えベクトルに偏ってしまっている。初期の方が好きだ。

 

終わりのクロニクル

終わりのクロニクル 1(上) 電撃文庫 AHEADシリーズ

終わりのクロニクル 1(上) 電撃文庫 AHEADシリーズ

 

この作品に出会ったのは大学生の頃。大学前のTSUTAYAでなんとなく1巻を買ってみたのが全ての終わりだった。以後、ひたすらこの作品を読み続けた俺は、気付いたら簿記の単位を落としていた。4単位だった。痛かった。

俺は、熱血系が大好きである。 とにかく熱いのは良い。でも熱血大好きな俺にもツボというものがあって、近年では熱血アニメの代表作とされる「グレンラガン」とかは、あまり好きではない。俺が好きな熱血系というのはどんなものなのかという点については熟慮する必要があるものの、少なくともこの「終わりのクロニクル」は、俺のツボどころかもう脊髄まで押さえられるほどに大好きだ。一番好きなラノベは何かと聞かれれば「それはもちろん終わりのクロニクルだ」と即答する。特に俺が好きなのは2巻だ。何度読んでも、奈津さんの最後の言葉が身に染みる。作者のキモさについてはここでは語るまい。この作品の良いところは、大人がひたすらカッコいいところである。ラノベとは「ティーン向け」という前提がある以上、10代の若者が中心人物となりがちであり、何故か両親が不在だったり寮に住んでたりとかが不自然なまでに多い。だからこそ、大人がカッコいいラノベは絶対に良い作品だと、俺は今までの経験上断言する。今までの人生で俺に最も大きな影響を与えたラノベはこの作品だし、これから先も、これ以上のものは出ないんじゃないかと思っている。劇場版とかで全章アニメ化してくれないかなー。絶対にブルーレイ全巻揃える。

 

いい歳こいてラノベとか恥ずかしくないのかという意見についてはともかくとして、俺はこれからもラノベばっかり読むだろう。何故俺が小説ならラノベばかりなのかというと、現実の小説を読んだって普段の自分の生活と変わらないからだ。シリアスな小説はもう現実で十分シリアスなのでこれ以上は欲しくないし、恋愛小説とかも別にそこまで興味は無い。かろうじて興味があるのは、ミステリーだ。ミステリー小説は、高校から大学にかけてくらいの頃にひたすら読み漁っていた。SFとかファンタジー小説も好きだし、ラノベに比べれば量は少ないけどちょっとは読む。つまり俺がここで興味が無いといっているのは、いわゆる「文芸」とか呼ばれる分野の作品のことと言えるのかもしれない。何か面白い文芸小説とかあるんだろうか。あるなら教えてほしいもんだ。

10年も経てば、当時と比べれば俺も随分変わったものだという自覚がある。昔の自分では考えもしなかった事を今は毎日のように考えるし、知識面でいえばもう別人の様だろう。とはいえ、昔の自分を捨てたわけではない。今も変わらずアニメや漫画やゲームは大好きだ。2ndGから10年くらいやり続けているモンハンも、ダブルクロスは当然のように予約済みだ。つまり、俺は童心を忘れず捨て去ることなく、その上に順調に積み上げて成長してきていると思っていいのかもしれない。

そんな童心を忘れない俺も一応は大人になってしまったので、一丁前に大人な悩みを抱えている。最近残業キツいんだよな。年明けてから残業エブリデイだしな。自分の目的を達成するには、現状、金が全く足りないとかさ。あとやっぱりアレだよ。働きたくない。働かずに給料だけ欲しい。どうすればいいのかな。ダメか。

 

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俺とフランス革命

イノサン」読んだから。

ここ最近、フランス革命ブームが来ている。

俺は今まで、ローマや第一次大戦くらいの、古代や近代の歴史については多少齧ってきた。しかし、中世については全くと言っていいほど知らない。そんな時に「イノサン」に出会った。主人公であるシャルル=アンリ・サンソンについては、スティールボールランジャイロ・ツェペリのモデルであるということで、名前くらいは知っていた。俺はジャイロが大好きだったこともあって、良い機会だと思いフランス革命についていっちょ噛り付いてみるかと思った次第である。

何冊か本を読んだところ、面白い面白い。こんなに気分が昂ったのは、ハンニバル辺りのローマを学んでいた時以来だ。

そんな想いも高じて、この記事を書いている今日(2016/11/27)は、六本木ヒルズで催されている「マリー・アントワネット展」に行ってきた。

www.ntv.co.jp

本で見覚えのある絵画やマリー・アントワネットがギロチンに連れてかれる時に脱げた靴などが見られたのは、非常に感慨深いものがあった。写真が撮れるエリアも用意されていて、全体的に満足な展示だった。

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さて、フランス革命は功罪両面ある大きな歴史の畝りである。ではフランス革命の主役は誰だったのかといえば、人に応じて意見が分かれるだろう。

マリー・アントワネット

ルイ16世

シャルル=アンリ・サンソン

ロベスピエール

ブルジョワ

貧民

色々とあると思う。

しかし、やはり俺が一番の主役だと思うのはコイツだ。

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「ギヨたんguillotine」などという萌え気分高まる名前のコイツは、出生からして完全に主人公枠だ。俺達の良く知る「ギロチン」とは英語読みであり、guillotineはフランス語読みでは「ギヨティーヌ」という。ギヨタンという名前だけ出して大して貢献していない医師の名前から取られたらしい。俺の気分上、ここでは「ギヨたん」とする。

ギヨたんは、当時のフランス国王であるルイ16世、死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソン、外科医のアントワーヌ・ルイの共同制作にて産み出された。 王族の血を引き、死神に育てられ、人々の自由と平等のために造られたのだ。

どうやら革命前のフランスでは、死刑は考えるまでもなく当然必要なものと捉えられていたようだ(現在のフランスでは、死刑制度は廃止されている)。ただし死刑執行の方法は貴族と平民で差別されており、それを一元化すべく、最も苦痛が少なくお手軽に執行できる死刑が模索された結果、ギヨたんが産まれた。つまり、ギヨたんは当初、人道的な目的で産み出されたのである。

革命前は 、同じ罪を犯して死刑の判決を受けても 、貴族なら斬首刑 、一般庶民なら絞首刑というふうに 、身分によって処刑方法が違っていた 。われわれ日本人にはピンとこないのだが 、斬首はフランス人にとっては高貴な処刑方法なのである 。これは 「人間の平等 」の原則に反する 、身分の如何を問わず処刑方法は同一でなければならないという議論が 、ギロチンが誕生するそもそものきっかけだった 。

物語 フランス革命―バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書)より引用

ギロチンというと世間では恐ろしいイメージを持たれているものの、その産まれは尊いものだった。どこぞの新興ユダヤのアイツみたいだ。しかしギロチンが無ければ、フランス革命があんなにも血を流すこともなかった。ギロチンは、自由と平等の理想から産まれた。しかし結果として、産みの親であるルイ16世を殺し、死刑執行人サンソンを絶望に突き落とし、その後もあまりに多くの人間を、実にあっさりと簡潔に殺してしまった。

フランス革命を考える上で避けられないのは、やはり死刑制度をどう考えるかだと思う。死刑制度が必要か否かについては、古今東西あまりにも多くの人が議論の対象としてきた。ここで俺も、自分の考えを纏めておこうと思う。

俺は今のところ、死刑制度は必要だと思っている。

第一に、死ぬのは怖い。俺は死刑になるような犯罪をしたことがないので死刑囚の気持ちはわからないけど、死ぬのが怖いのはわかる。犯罪をすると死刑になる可能性があるという事実が頭にチラつくだけでも、犯罪をしようという気持ちにブレーキがかかるんじゃなかろうかと思う。

第二に、冤罪や誤審の可能性だ。これに関しては、確かに悲惨という他無い。ただこれは、局所的には司法や警察の問題だ。俺が冤罪に巻き込まれて死刑宣告でもされたらと思うと確かに怖いけど、だったらどうだというのか。死刑が無くなっても、前科者になってしまえば、社会的には死刑とそう変わらないだろう。終身刑でも同じ事だ。冤罪や誤審による悲惨と死刑とは、また別の問題ではないのかと思う。

第三に、死刑が無くなるとすると、最高は終身刑ということになる。囚人を養うにも税金が必要だ。囚人の生活費、監獄の運営費などなど。こんなものに税金を払うくらいなら、サクッと死刑にしてくれた方が随分と安上がりだ。最高が終身刑になるということは「最悪な犯罪をやらかして終身刑になれば、死ぬまで国が養ってくれる」という誘因が働きかねない。自分で言ってて性悪説だなとは思うけど。

ニュースを見ていると、何年かに一度は「コイツは死刑にした方が良いんじゃないか」というような悲惨な事件を目にする。どんな事件を頭に浮かべるかは人それぞれだけど、一度でもそう思ったことがあるなら、死刑制度はある程度必要だと思っている証拠だ。フランス革命を見ていると、死刑制度は廃止した方が良いとほぼ確信的にそう思ってしまう気分になる。死刑が必要か否かというのは人類の永遠のテーマの1つだと思うし、これを機にもう少しじっくり考えてみたい。

フランス革命―歴史における劇薬 (岩波ジュニア新書)

フランス革命―歴史における劇薬 (岩波ジュニア新書)

 

自由と平等を掲げるフランス革命だが、現在の我々の感覚からすれば「フランス革命なんて嘘っぱちだ。ブルジョワが貴族の特権を崩して金儲けがしたかっただけだ」という意見も出てくるだろう。フランス革命での人権宣言において、自由や平等を持つと規定されたのは白人男性だけだったし、どの階級に属する人民を人権宣言で保証するのかについては、かなり口汚くすったもんだしたからだ。王族を含み余りにも多くの人を殺しすぎたフランス革命が成功だったか失敗だったかでいえば、失敗だったと俺は思う。フランス革命の直後にはナポレオンが帝国を築いているし、その後も王政復古とかしちゃっている。アホかいなと思うけどしかし、フランス革命を契機に我々人民の頭に自由と平等の観念が根付き、その延長線上に俺たちの今の生活がある。そう考えれば、決して無意味ではなかったんだろう。

自由と平等を謳歌し、静かな夜に風呂上がりの炭酸水を飲みつつブログが書ける。

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