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馬鹿の独り言

物忘れの酷い俺のためだけのブログ

【雑記】デート・ア・ライブ/五河士道先生のアリストテレス式弁論術

非常に今更ではあるが、最近衝撃を受けたアニメがある。

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『デート・ア・ライブ DATE A LIVE』アニメ公式サイト

 

主人公こと五河士道の人生がハードモードすぎるからだ。

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①普通に暮らしてたらいきなり災害に巻き込まれる

②自分を殺しに来るんじゃないかと全世界を警戒している美少女型核兵器(精霊)の前に突き出される

③デレさせてキスしないと死ぬ

 

頭おかしいとかそういうレベルを超えている。こんなん普通に考えたら泣いて土下座して俺には無理ですとおしっこ漏らして床に這いつくばりウネウネするくらいしかできない。

しかし五河士道、いや士道先生は、そんな命懸けのナンパを幾度となくクリアし様々な美少女精霊を手籠めにしていく。

俺は、士道先生のその雄姿に大きな感銘を受けた。

今回は、そんな士道先生のどこがどう凄いのかを、デビュー戦である「夜刀神十香」の事例を基にちょっと考えてみようと思う。現在アニメ1期まで見終わっているものの、やはりこのデビュー戦に士道先生の全てが詰まっていると見るからだ。

↓精霊:夜刀神十香

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このアニメの趣旨は

「秘密組織のメンバーが大真面目にギャルゲーをやっていたら」

である。

 

1、前提条件の整理

まず前提として、精霊がこの世に顕現する際には「空間震」という爆発が大なり小なり発生するらしい。えらいこっちゃ。最初に観測された空間震では1億人以上が消し飛びユーラシア大陸にデカいクレーターまでできちまったというからそりゃ全世界で警戒する。

実際、十香が現れた時もこうなった。

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こういう時にとりあえず出向くのは、我が国では自衛隊なわけだが、この作品は基本萌えアニメなので、自衛隊もやたら破廉恥な装備だ。

自衛隊所属の対精霊武装組織ASTの鳶一折紙さん

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町一つ余裕で吹っ飛ばす程の大災害を引き起こす美少女なもんだから、これを武力で鎮圧しようという輩が出てくる。実際犠牲者も多いので、まぁ気持ちはわかる。

この「武力鎮圧派」がこの作品の自衛隊所属の対精霊武装組織:ASTなわけだが、これとは違い

精霊をデレさせて力を封印することで対処しようという組織がある。

士道先生の妹:五河琴里の率いる「ラタトスク」だ。

↓決め台詞は「私達のデートを始めましょう」

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こいつらは町一つ丸々改造して士道先生と精霊のデートをセッティングし、ギャルゲーを攻略する感覚で士道先生に指示を出す。実際にどんな感じかはアニメ本編を確認するのが早い。

 

これで

武力鎮圧派VSデート派(=対話派)

という対立軸が出来上がった。

 

 2、姿勢の問題

精霊:夜刀神十香が街に顕現した時、発生した空間震は町の一部分を粉微塵に吹き飛ばしている。

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ASTの警戒レベルは最高潮だ。十香は見ての通り近接格闘型なので、遠距離からバンバン銃火を浴びせまくる。そんな中に士道先生はいきなり放り込まれて、ラタトスクが指示するギャルゲーコマンドを使いつつ説得を試みる。

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士道先生も最初はテンパっていたものの、十香の悲しそうな目を見てなんとかしてやろうと決意を固める。漢だ。

この時点で1つ、教訓めいたものがある。

ASTの人達は、いくら精霊が災害の中心だからといって、仮にも人の形をした存在に平気で重火器ぶっ放して何とも思わないのだろうか。士道先生との対話によって、実は空間震は精霊が意図的に引き起こすものではない(十香の場合)ということが早々に明らかになる。

俺達は何かとイメージでつい決め付けてしまいがちになる。会って話したことも無い他人の嫌なエピソードをいくつも聞かされたりすると、その人の事を会ってもいないのに嫌いになっていたりする。

ここら辺の蒙昧さは、我々も日々自戒しなければならない。

この点、ラタトスクの方がより文化的に優れた組織だと言える。

話し合いの席についた所で、ここからが士道先生の凄い所である。

 

3、五河士道のエートス

以前このブログで、パックンの「人に話を伝えるための技術」に関する記事を書いたことがあった。

パトリック・ハーラン/ツカむ!話術 - 馬鹿の独り言

パックンのハーバード仕込みの話術が、実はアリストテレスの「弁論術」をベースとしていると聞いて非常に感動したのは記憶に新しい。

さて、パックンの「ツカむ!話術」においては、他人に気持ちや主張を伝えるために最も重要なのは「エートス(人柄)」であると述べている。

 本の中でパックンは、エートスを次のように説明している

エトスとは人格的なものに働きかける説得要素。話している人を信用しようという気にさせるような表現を指します。………(中略)………その人自身の信頼性・信憑性などがエトス度を上げます。

ツカむ! 話術 (角川oneテーマ21)より引用

 また、原典であるアリストテレスの「弁論術」にはこんな記述がある。

人柄の優れた人々に対しては、われわれは誰に対するよりも多くの信を、より速やかに置くものなのである。………(中略)………弁論の技術を講ずる二、三の人々は、論者の人柄のよさは言論の説得性にとりなんの足しにもならないとして、これをも弁論の技術に含めることはしていないが、事実は彼らの言うのとは違い、論者の人柄は最も強力と言ってもよいほどの説得力を持っているのである。 

弁論術 (岩波文庫)より引用

士道先生のエートスはどうだったのか。

十香からすれば、出現時の状況を端的に表せば

「寝てるところを叩き起こされたら目の前は瓦礫の山になってて遠くからメカメカ団(AST)が銃やらミサイルやらバンバン打ち込んで自分を殺しに来ている」

という状況だ。そりゃ誰だって人間不信になる。泣きたくもなる。

そんな中に現れたのが、へっぴり腰の士道先生だ。当時の士道先生の要素を列挙すると

①状況をあんま理解していない(つまり無垢な)一般人

②非武装

③一方的に銃火を浴びせるASTと違い、精霊と話をしようとする

という3点だ。完全にエートスは備わっている。

十香からすれば、なんかよくわからないまま自分を殺しに来るメカメカ団に対し、士道先生は初めて自分とまともに向き合ってくれそうな人間だ。まぁこれは士道先生がというよりもASTが勝手に自滅した結果、士道先生が属するラタトスク側にエートスを与えてしまったと言った方が正確かも知れないけど、どっちにしろとんでもない状況だ。だって、台風や地震に話しかけろと言われたら普通は無理だ。ラタトスクエートスを与えてしまった時点で、ASTの敗北は決定している。

 

4、パッション

少し会話をすると、十香が素直で純真な良い子だということが判明してくる。

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一応のエートスを得たラタトスクから受け取る指示に従い、士道先生は十香との対話を始める。

しかし、ラタトスク側にも欠点がある。ラタトスクからの指示は、基地のメンバー達が十香の言葉への対応を即興でいくつかリストアップし、複数名で多数決による合議にて決定し、それを士道が次に発するコマンドとして指示するという形式を取っている。

従って、士道先生は会話のぎこちなさもさることながら、自分で考えた言葉ではないため非常に無味乾燥で纏まりのない挙動になってしまう。

この辺りからいよいよ士道先生の本領発揮だ。士道先生は段々と、ラタトスクからの指示を無視して自分の言葉で十香との対話を始めていく。ここで、実は十香には名前がないことが判明し、士道先生が「出会ったのが4月10日だから十香」という名前を付けた。名前をつけることの意味については、今更俺が述べるまでもないことだと思う。

この段階から士道先生には

十香と向き合おうとするエートス

自分の気持ちを表現し十香の感情に揺さぶりをかけるパッション

が備わったことになる。ここまで来たらもう勝利は確定しただろう。

アリストテレスの「弁論術」の要点は、「エートス(信頼される人柄)」「パッション(相手の感情に訴える)」「ロゴス(話術)」だ。

優先度的には、エートス>パッション>ロゴスになる。

彼は、弁論の狙いを次のように説明している

(1)言論に注目して、それが証明を与え、納得のゆくものとなるように配慮するだけでなく、(2)自分自身を或る人柄の人物と見えるように、そして同時に、(3)判定者にも或る種の感情を抱かせるように仕上げをしなければならない。なぜなら、論者が或る人柄の人物に見えるということと、聴き手に、論者は自分たちに対して或る種の感情を抱いている、と理解させることとは、それに加えて、聴き手自身もうまく或る種の感情を抱くということにでもなれば、それは説得を与える上で、………(中略)………大きな違いをもたらすからである。

弁論術 (岩波文庫)より引用

 

つまり、説得において言葉そのものは本質ではなく、聴き手に信用されて且つ感情を揺さぶる何らかのエネルギーを放つことが大切であり、言葉の加工は殆んどおまけに過ぎないということだ。ラタトスクに欠けていたのはこの視点である。ラタトスクは、士道先生に「ロゴス」のみを授けようとしていた。逆に言えば、ラタトスクに欠けていた部分を士道先生が足しあわせたことで完成したと言える。

十香の件以後はラタトスクも積極的に介入はせず、士道先生が困った時にアシストする程度の裏方へと戦略を変えるため、きちんと反省できる組織であるのはポイントが高い。

 

【総括】

士道先生の凄いところとは

「災害に巻き込まれるとか死ぬかも知れないとかは全部振り切って、最初に十香と出会った時の悲しい目を何とかしたいという優しい気持ちを貫徹したところ」

である。

士道先生には最初から「十香と向き合いたい」として十香自身を見つめていたという点で、十香をあくまで「精霊」というカテゴリーとして捉えていたASTやラタトスクよりも上を行っている。俺もついイメージに捉われがちな己を自戒し、常に本質に目を向けるよう日々精進しようと思う。そのためには日々色んな考え方に接したり、わからないものを理解するための知識を蓄える必要がある。

また、どんなに拙くても自分の気持ちをキチンと相手に伝える表現力は日々磨いていかなければならないし、そのためにはまず伝えたいという熱意と、伝えたい内容をじっくり考える根気強さが必要だ。

つまりあれだ。

十香ちゃん可愛すぎて色々と俺のパッションが弾け飛びそう。

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とはいえ、士道先生はあくまで個人だからこういう行動が取れるのであって、組織になると途端に情報が抽象化しがちで動きが鈍くなってしまう。ラタトスクに足りなかったのもこの部分であると思われる。

これは恐らく、人類の永遠のテーマだと思う。個人を最大限に生かしつつ如何に組織として分裂しないよう纏め上げていくのか、というのはこれからも追及していきたいテーマである。