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馬鹿の独り言

物忘れの酷い俺のためだけのブログ

ビジョナリー軽音部/時代を超える部活の原則

ジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」

言わずと知れたビジネスマン必読な伝説の経営学書籍である。

ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則

ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則

 

先日まで50%オフセールをKindleでやっていたこともあり、購入。数年ぶりに読んでみた。

相変わらず素晴らしい本であるというのは変わらないものの、細部を忘れてしまっていてかなりうろ覚えだ。自分の覚え違いを発見することも多々あり、やはりこういうのは1度読むだけではダメだな。普段から意識するか、何か強烈でわかりやすい象徴を見付けないことには、そのうちまた忘れてしまう。

俺は悩んだ末、天啓に導かれた。

ビジョナリーな組織、あるじゃないか。

こいつらだ。

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桜が丘高校軽音部は、間違いなくビジョナリーな組織だ。

今回はこの部を題材に、ビジョナリーな組織とはなんなのかを整理していこうと思う。

 

ビジョナリー・カンパニーの定義は、以下の通りである。

・業界で卓越した企業である。
・見識のある経営者や企業幹部の間で、広く尊敬されている。
・わたしたちが暮らす社会に、消えることのない足跡を残している。
・最高経営者が世代交代している。
・当初の主力商品のライフ・サイクルを超えて繁栄している。
・1950年以前に設立されている。(つまり歴史のある組織)

詳しい説明は省くが、桜が丘高校軽音部(以下、軽音部)は、この全てに該当する。

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さわちゃんこと山中さわ子先生は、所々で先生が現役であった頃のデスメタルエピソードを小出しにしてくる。彼女の存在やそのエピソードを鑑みれば、軽音部が上記ビジョナリー・カンパニーの定義を満たしていると言って間違いない。

 

では次に、ビジョナリー・カンパニーの特徴と、軽音部が如何にそれに当て嵌まるかを整理していく。

 

①必ずしも優れたアイデアは必要ではない。

偉大な組織や企業を作ろうとした場合、世間一般では「なにか天才的なアイデアが必要だ」という思い込みがされている。しかし、実際にはそうではない。ソニーヒューレット・パッカードは、最初は何を作ろうかというところから始まったそうだし、日本で言えばトヨタもそうだ。最初は自動織機のメーカーだった。

軽音部も、優れたアイデアなど無い。だって軽音部だ。どこの高校にも大学にも、全てとは言わないまでも高確率で存在する、ありきたりなジャンルの部だ。

 

②カリスマ的指導者は必要ない

偉大な企業ともなると、そのボス、つまりCEOの人柄というのは世間に大きく注目される。有名どころでは、ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブズとか孫正義とかだろうか。この人達が圧倒的なカリスマを持っていることは疑い様もないが、だからといって、ビジョナリーな組織にはカリスマ指導者は必ずしも必要ない筈だ。そりゃそうだ。経営者だって人間だし、世代交代をしない組織というのはありえない。世代交代に失敗すれば、それは組織の消滅を意味する。

軽音部におけるCEOとは、田井中律総帥である。

↓総帥のご尊顔

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彼女はドラム担当であり、普段はにぎやかし係だ。トラブルや軽音部のイベントの発端となることが多い。そもそも、廃部寸前の軽音部を立て直そうと最初に決意したのは彼女である。

しかし、りっちゃんにカリスマ性は無い。際立った演奏技術は無いし、部の再建のための明確なビジョンがあるわけではない。ノリで生きる生命体だ。

けいおん!」放送開始当初において、カリスマ性を発揮するのはむしろコイツだ。

↓コイツ(平沢唯

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基本的にアホの子だが、全くの素人だったのに何時の間にかギターもボーカルもマスターしてやがった天才肌だ。軽音部のイベントにおいても、基本方針を決めるのはいつもコイツだし、軽音部の緩い空気はコイツの存在があるからである。圧倒的カリスマだ。あずにゃん先生も取り込まれてしまった。

以上のことから、トップは必ずしもカリスマである必要は無いのだ。

大切なのはもっと別の、根っこの部分にあるのだ。

 

③利益の最大化が目的ではない。

組織を作ったからには、何か大きな、できるだけ具体的な目標が必要となる。「けいおん!」放送当初、みおちゃんとりっちゃんは、武道館公演への憧れを抱いて軽音部に入った。

↓軽音部のエース、秋山澪

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大それた夢というのは、起爆剤にはなってもすぐ風化してダラダラしてしまうのが世の常だが、そんな軽音部にも、ガチで頂点目指す系のドえらい新人が入ってきた。

我らが大天使あずにゃんである。

↓アークあずにゃんエンジェル

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あずにゃんは、意識が高い。紅茶とお菓子しか頭に無い先輩らに対し、もっと演奏の練習をして上手くなるべきだと叱り飛ばす。利益の最大化が目的だ。しかし、そんなあずにゃんも、平沢唯と愉快な仲間たちの空気に毒され、その牙を抜かれていく。

 

④確固たる基本理念がある

「軽音部の目的とは何か」とあずにゃんが問うた際に、他の4人はこう答えた。

「紅茶とお菓子を貪ることだ」と。

これこそが軽音部の基本理念だ。常軌を逸している。

そんなやたらと金のかかる基本理念が実現しているのは、無論、強力なスポンサーがバックに付いているからだ。

↓無限の資本力を持つむぎちゃん

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むぎたそがいなければ、軽音部は軽音部たりえない。そもそも活動ができないからだ。

そしてそんなむぎたそが支える基本理念は作品全体に波及しており、この空気感が他のバンド系作品と本作が一線を画す主因となっている。むぎたそは、人体でいうところの骨なのだ。

 

⑤社運をかけたプロジェクトに取り組む

高校生の一大イベント、文化祭。

今まで紅茶飲んで菓子貪ってた彼女ら5人は、あろうことか文化祭ステージへの出演を表明する。今までさわちゃん大明神を紅茶と菓子で篭絡し、密かに静かに暮らしてきた彼女らにとって、この行動はリスクが大きすぎる。下手なライブを晒してしまえば、名前だけ軽音部の彼女らは部費の無駄遣いとの誹りを受け、廃部にまで追い込まれかねない。

しかし、平沢唯は言った。やるのだと。

その謎の決断があずにゃんの紅茶に溺れていた闘志に火を付け、軽音部全員が一丸となってライブに取り組んだ。

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結果は大成功。社運をかけたプロジェクトに見事成功し、観客の声援と幸福を手に入れたのだ。

 

⑥カルトのような文化を持っている。

ビジョナリー・カンパニーは、自社に合わない社員や働き方に順応できない社員は即座に斬り捨てるらしい。さながら体内に入りこんだ菌を殺すかのように排斥すると書いてあった。

軽音部においては、あずにゃんが一時期その傾向にあった。先述の通り彼女は意識が高いため、先輩部員4人と軋轢を起こし、入部早々退部の危機にあった。結果として紅茶の誘惑に屈してどんどん丸くなっていったものの、下手をすれば彼女は、なんか一瞬出てきたモブキャラで終わった可能性もあるのだ。軽音部に日常的な努力という概念は存在しない。あずにゃんは本当に危なかったのだ。

 

⑦大量のものを試し、上手くいったものを残す

桜が丘高校軽音部がその世代に応じて様々にカラーを変えてきたであろうことは、さわちゃんの過去からも窺い知れる。

↓あの頃のさわちゃん

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今世代においても、まずりっちゃん総帥の温い憧れからスタートし、青臭いみおたんと頭イッてる唯先輩、ゲート・オブ・ユキチのむぎたそ4人の空気感が絶妙に絡み合った結果が、今の紅茶を貪る機械だ。あの空気感は、4人がゼロから作り上げた試行錯誤の結果であり、必然的だ。実際、あずにゃんアタックを経るまで、あの空気感は未だ完成していなかった。上手くいったものを残している。

 

⑧叩き上げの経営者がいる

CEOというのは、外部から招かれることが少なくない。最近で言えば、カルロス・ゴーンなどか。

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ビジョナリー・カンパニーにおいて何よりも重要なのは、同社が持つ基本理念を徹底的に浸透させ、腐らせず、貫徹することである。外部から経営者を招けば、今まで作り上げてきた土壌と全く違う文化を導入してしまうかも知れない。大きな企業であれば猶更そうだろう。外部CEOからすれば、自分が入ってきたことの意味をアピールしたくなるのは当然の欲求である。これによる文化の破壊を避けるためにも、ビジョナリー・カンパニーは外部から迂闊にCEOを招かず、むしろ、自社内で育て上げるシステムを構築することに全力を注ぐ。「ゼロから始める次世代経営者育成システム」のようなものがビジョナリー・カンパニーには備わっている。かのジャック・ウェルチも、GE以外に社歴を持たない生え抜きのCEOだった。ウォール・マートのサム・ウォルトンも、早い時期から世代交代のことを考え込んでいたらしい。

軽音部においては、さわちゃんという現人神がいる。軽音部の殿堂に祀られるさわちゃんは、度々顔を出しては現世代の緩い空気を後押しするような態度を取る。さわちゃんの言葉は神託なのだ。

如何に軽音部5人があの空気を満喫しても、さわちゃんが否定したら一瞬で崩壊してしまう。高校生は大人には勝てない。

ゼロから作り上げたりっちゃんと、かつて軽音部だったさわちゃんの2人がいることで、軽音部はビジョナリーな組織として成り立っている。

 

逆に言えば基本理念さえ維持できれば外部から経営者を招いても良いということになるのだが、その辺はあれだ、ディズニーとかアレキサンダーに聞いてくれ。

アレクサンドロス大王東征記〈上〉―付インド誌 (岩波文庫)

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⑨決して満足しない

ビジョナリー・カンパニーは、1つの偉大な業績を成しても決して満足しない。

飽くなきイノベーションへの意欲を持っている。

軽音部も同じである。彼女らのストーリーは高校2年からの2年間であるため、最終回たる劇場版では卒業を迎えた。あずにゃんはもうボロボロ泣いてしまってちょーかわいいのだが、そんな彼女らは、卒業前にイギリスに旅行に行くというこれまでで最も過酷な冒険をする。

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なんと飽くなき向上心。卒業した程度ではこの部活は終わらないという明確な意思表示。この映画のクライマックスが、どっかデカい所でのライブじゃなくて、唯が公園でエアギターするところというのも神がかっている。

卒業というのは人生の節目だ。あれだけ仲が良かったのに、卒業してから1度も会っていない友達が俺には何人もいる。

しかし彼女らは、そんな影を微塵も感じさせない。彼女らはこれからも軽音部である。

これをビジョナリーと言わずなんと言うのか。

 

『総括』

以上、桜が丘高校軽音部にみる「ビジョナリー・カンパニー」である。

けっこう端折ったり無理やり繋げた部分は多いものの、大枠はこれで問題ない筈だ。

気になった部分があれば、改めて本書をつまみ読みすれば良い。

もう既に古典の枠に入れられそうなアニメ「けいおん!」だが、同じく古典である「ビジョナリー・カンパニー」との親和性がえらいことになってて、俺も書いてて感動した。やはりブルーレイを買うべきなのか。

 

あ、俺はむぎちゃん一択です。

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